伏見稲荷大社は、朱色の千本鳥居が有名な、全国に約3万社あるといわれる「お稲荷さん」の総本社です。
国内外から多くの観光客が訪れます。
伏見稲荷大社の歴史はとても古く、日本の歴史と深く関わり、とても興味深いものなんです。
国宝に指定されている建物はありませんが、境内には、国の重要文化財に指定された歴史ある建物も数多く存在します。
その荘厳な姿を見れば感動すること間違いなしです。
そんな歴史について気になるけど、なんだか難しそうと思う人も多いでしょう。
今回は、そんな方でも楽しめるよう、わかりやすく簡単に解説していきます。
作った人は誰なのか、いつ建てられたのか、作られた理由ななんなのか。
謎に包まれた創建の理由にも迫ります。
この「伏見稲荷大社」周辺には、観光に便利なホテルや旅館も多いです。
伏見稲荷大社の歴史の重みを心ゆくまで感じたいなら、周辺のホテルへの宿泊がおすすめです。
早朝の静寂の中で、創建当時の様子を想像したり、夕暮れ時には幻想的な千本鳥居の風景に包まれ、歴史に思いを馳せたりするのもいいですね。
この記事では、「伏見稲荷大社」を作った人やいつ建てられたのかのかなど、歴史をわかりやすく簡単にまとめてみました。
また、観光に便利なおすすめホテル・旅館などもご紹介しますので参考にしてください。
伏見稲荷大社の歴史をわかりやすく簡単に
伏見稲荷大社は、千本鳥居の朱色が織りなす神秘的な風景で知られる、全国に3万社以上もあると言われる稲荷神社の総本社です。
今回は、そんな伏見稲荷大社の歴史をわかりやすく、そして簡単に紐解いていきましょう。
国宝だった壮麗な建築や、人々の信仰を集めてきた歴史に触れれば、伏見稲荷大社が単なる観光地ではなく、人々の暮らしと深く結びついた特別な場所であることが分かるはずです。
伏見稲荷大社の歴史は古く、奈良時代まで遡ります。
作った人は誰なのか、いつ建てられたのかについては、様々な説がありますが、定説としては、渡来人の秦氏が、現在の京都市伏見区にある稲荷山に稲荷大神を祀ったとされています。
稲荷大神は、古来より五穀豊穣の神様として崇められており、人々の生活を支える重要な役割を担っていました。
以来、伏見稲荷大社は人々の信仰を集め、時代とともに発展してきました。
平安時代には、都の人々も稲荷大社に参拝するようになり、信仰はますます広がっていったのです。
特に、旅は危険と隣り合わせであり、無事に目的地へ到着できるかどうかは、神々の加護なしには考えられませんでした。
そのため、人々は旅の安全を祈願するため、稲荷大社をはじめとする神社仏閣に参拝するようになったのです。
霊山(神聖な力を持つと信じられている山)として崇められていた熊野への参拝の際に、必ず稲荷大社に立ち寄ることが習慣となったのは、このような信仰心の表れと言えるでしょう。
室町時代には、応仁の乱という大きな戦があり、社殿が焼失してしまうという悲しい出来事がありました。
しかし、戦後の復興とともに、人々の生活様式も変化し、農耕中心の社会から商工業が発展していく中で、稲荷神は五穀豊穣だけでなく、商売繁盛の神様としても信仰されるようになりました。
江戸時代になると、豊臣秀吉や徳川家康など、多くの武将も稲荷大社を信仰し、社殿の修復や土地の寄付など、さまざまな形で貢献しました。
江戸時代は、都市が発展し、商業が活発化した時代であり、稲荷神は商売繁盛の神様として広く信仰されるようになりました。
これにより、多くの神社が建てられるようになったのです。
明治時代以降も、神仏分離令など、様々な歴史的な出来事がありましたが、人々の信仰心は変わらず、現在も多くの参拝者が訪れています。
特に、朱色の千本鳥居が連なる神秘的な風景は、国内外から観光客を魅了し続けています。
こうした信仰を集める背景には、伏見稲荷大社の長い歴史と、その建築物としての高い芸術性も深く関わっています。
伏見稲荷大社の本殿は、明治時代には国宝保存法に基づき国宝に指定され、その歴史的価値は非常に高いものでした。
しかし、時代の変遷とともに文化財の保護に関する法律が改正され、現在は重要文化財に指定されています。
この変更は、より厳格な基準が設けられた結果であり、決して本殿の価値が下がったわけではありません。
伏見稲荷大社内には、本殿以外にも多くの建物や文化財が存在しますが、国宝に指定されている建物は現在ありません。
しかし、本殿をはじめとする多くの建物が、その建築様式や歴史的背景から、重要文化財に指定されています。
これらの建物は、日本の伝統的な建築様式を伝える貴重な文化財として、国内外から注目を集めています。
伏見稲荷大社の歴史をわかりやすく簡単に解説しましたが、わかりましたでしょうか。
次の章では伏見稲荷大社を作った人が誰なのか詳しくお伝えします。
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伏見稲荷大社を作った人は誰?
伏見稲荷大社はとても有名ですが、誰が建てたのか までご存知の方は、意外と少ないかもしれません。
実は、明確に伏見稲荷大社を作った人と断定できる人物は存在せず、複数の説が唱えられています。
しかし、数ある説の中でも伏見稲荷大社を建てた人として最も有力視されているのが、秦伊侶具(秦伊侶巨とも言われている)という人物です。
伏見稲荷大社の背後にある人々の物語や伝説い触れることで、人々の信仰心や努力を感じることができるでしょう。
では一体、秦伊侶具とはどんな人物で、なぜ伏見稲荷大社を作った人だと考えられているのでしょうか?
秦伊侶具は、古代日本に渡来した秦氏の後裔とされ、土木技術や農業などに長けた一族の祖として知られています。
彼らは稲荷神を篤く信仰しており、伏見稲荷大社の創建にも深く関わっていたと伝えられています。
秦伊侶具が伏見稲荷大社を作った人という説が有力視されているのには、わかりやすく簡単に言えば、主に2つの理由があります。
古くからの伝承
一つ目は、わかりやすく言うと古くからのの伝承です。
多くの史料に、秦伊侶具が伏見稲荷大社を創建したとする伝承が記されています。
長年、人々の間で語り継がれてきたという事実こそ、この説の信憑性を物語っており、軽視することはできません。
「伏見稲荷大社を作った人」を探る上で、重要な手がかりの一つと言えるでしょう。
稲荷神との強い結びつき
二つ目は、簡単に言うと稲荷神との強い結びつきです。
秦氏は稲荷神を深く信仰しており、その信仰心の篤さから、伏見稲荷大社を建立したと考えられています。
つまり、秦氏にとって稲荷神は非常に重要な存在であり、その信仰心が壮大な神社の建設へと繋がったのです。
伏見稲荷大社を作った人の動機として、十分納得できる説です。
これらのことから、「伏見稲荷大社を作った人は誰か」という問いに対する現時点での答えは、秦伊侶具が最も有力だと言えるのです。
しかし、古代史には謎が多く、伏見稲荷大社を誰が建てたかという決定的な証拠が見つかっていないのも事実です。
そのため、他の説を完全に否定することもできません。
誰が作ったにせよ、伏見稲荷大社が長い歴史の中で人々の信仰を集め、大切に守られてきたことは間違いありません。
秦伊呂具をはじめ、多くの人々の尽力と信仰心によって、現在の壮麗な姿へと発展してきたと考えられます。
伏見稲荷大社はいつ建てられた?
伏見稲荷大社は、商売繁盛、家内安全、五穀豊穣など、様々なご利益があると言われ、多くの人々の信仰を集めています。
そんな伏見稲荷大社ですが、一体いつ建てられたのか、作られた理由はなんなのか、その詳細については未だ謎に包まれています。
この章では、伏見稲荷大社の創建にまつわる謎を、わかりやすく簡単に解説していきます。
伏見稲荷大社がいつできたのか、そして作られた理由が何なのかを知ることで、神様への感謝の気持ちを再認識できるかもしれませんね。
伏見稲荷大社はいつ建てられた?
伏見稲荷大社がいつ建てられたのか、その具体的な時期については、明確な記録が残されていません。
建てられた当時の記録が失われてしまったことや、長い歴史の中で幾度となく再建や改修が行われてきたことなどが理由として考えられます。
しかし、古くからの伝承や史料から、伏見稲荷大社は、奈良時代の和銅4年(711年)に秦氏の伊呂巨(いろこ)という人物によって建てられたとされています。
この説の根拠となるのは、『山城国風土記逸文伊奈利社条』という古い記録です。
この記録には、伊呂巨が稲を的にして矢を射たところ、それが白鳥に変化し飛び立ち、その場所に稲が生えたという不思議な出来事が記されています。
この出来事をきっかけに、伏見稲荷大社が建てられたとされています。
伏見稲荷大社 作られた理由
では、なぜ伊呂巨は稲を的にして矢を射り、その結果、伏見稲荷大社を建てることになったのでしょうか?
この点についても、わかりやすく簡単に説明するために、『山城国風土記』に記された、伊呂巨が餅を的にして矢を射たという話を紐解いていきましょう。
解釈1:遊び心から生まれた神話
この物語は、実は単なる遊び心から生まれた神話だと考える説があります。
秦氏は、稲作で成功し、豊かな生活を送っていました。
その豊かさゆえに、餅を的にして矢を射るという遊びを楽しんでいました。
餅が白鳥に変化し、稲が生えたという奇跡的な出来事は、伊呂巨に深い感動を与え、神の存在を改めて認識させました。
彼は、これまでの傲慢な振る舞いを悔い改め、神への感謝の気持ちを表すため、稲が生えた場所に祠を建て、稲荷大神を祀ったのです。
解釈2:神への捧げ物としての行為
一方、伊呂巨が餅を的にした行為は、単なる遊びではなく、神への捧げ物や試練の意味合いがあったと考える説もあります。
秦氏は、稲作技術に長け、莫大な富と権力を築いていました。
しかし、豊かな生活を送る中で、神への感謝の心を忘れてしまい、傲慢になっていました。
その罪悪感を抱え、自分自身を試すために、神聖な稲から作られる餅を射るという行為にでたのです。
この行為は、単なる遊びではなく、神への挑戦であり、同時に自分自身の信仰心の深さを試すものでもあったと考えられます。
餅を射るという行為は、豊かさへの執着を断ち切り、神への敬意を取り戻したいという、伊呂巨の心の叫びだったのかもしれません。
奇跡的に、射られた餅は白鳥へと姿を変え、飛び立った先には豊かな稲穂が実りました。
この出来事は、伊呂巨の誠実な心が神に届いた証として捉えられました。
神は、伊呂巨の試練に応え、彼の信仰心を試した上で、豊穣の恵みを授けたのです。
この出来事をきっかけに、伊呂巨は稲荷大神の偉大さを悟り、深い信仰心を抱くようになったのです。
そして、その場所に祠を建て、稲荷大神を祀ったとされています。
これらの解釈に基づくと、伏見稲荷大社がいつ建てられたのかは、伊呂巨が生きていた奈良時代頃と推定されるのです。
伏見稲荷大社はいつ建てられたのか、その創建時期については、明確な記録が残されておらず、様々な説が唱えられています。
しかし、いずれの説においても、秦氏の伊呂巨と、餅が白鳥に変化し稲が生えたという奇跡的な出来事が深く関わっている点は共通しています。
この物語は、私たちに、自然への感謝と畏敬の念、そして、神仏への信仰の大切さを改めて教えてくれていると考えられます。
「伏見稲荷大社」周辺のおすすめホテル
伏見稲荷大社は711年に秦伊侶具が建てたと言われています。
そんな長い歴史と深い信仰を持つ伏見稲荷大社を、心ゆくまで堪能でき、簡単にアクセスできる、近さが魅力のホテルを3つ紹介します。
アーバンホテル京都
この「アーバンホテル京都」は、伏見稲荷大社から徒歩約15分という好立地のホテルです。
伏見稲荷大社から近いので、早朝や夕暮れ時など、比較的観光客の少ない時間帯に訪れることができるのが魅力です!
幻想的な雰囲気に包まれた、千本鳥居の荘厳な美しさを独り占めできるかもしれませんよ。
ホテルの魅力は、なんといってもバラエティ豊かな朝食ビュッフェ!
シェフが目の前で調理してくれるオムレツや、京都祇園ぼろに屋のデニッシュ、京の米老舗 八代目儀兵衛のご飯など、美味しいものが盛りだくさんで、朝からお腹いっぱい楽しめます。
また、広々とした大浴場もおすすめです。
伏見稲荷大社で歩き疲れた体を癒しましょう。
このホテルの総合評価は「3.84」です。( 評価詳細は こちら>> )
こんな人におすすめ
- 伏見稲荷大社まで徒歩圏内のホテルに宿泊したい人
- 美味しい朝食で一日をスタートさせたい人
- ゆったりとくつろげる大浴場があるホテルに泊まりたい人
また、「アーバンホテル京都」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
京都ユウベルホテル
この「京都ユウベルホテル」は、伏見稲荷大社から徒歩約20分とアクセスのいいホテルです。
伏見稲荷大社まで少し距離はありますが、その道のりは風情があり、散歩しながら伏見稲荷大社に行くことができるのでおすすめです。
また、セキュリティ万全のホテルなので、安心してくつろぎたい方にもぴったりです。
ホテルには、高濃度人工炭酸泉があり、日頃の疲れをリフレッシュできるのが魅力です。
また、全館Wi-Fi完備、ランドリーコーナーもあるなど、設備が充実しているのも嬉しいポイント。
さらに、京都駅からの無料送迎バスが便利なのも嬉しいですね。
ビジネス利用にもおすすめです。
このホテルの総合評価は「4.54」です。( 評価詳細は こちら>> )
全ての評価項目が4.0以上です!
こんな人におすすめ
- 女性の一人旅でも安心できるホテルに泊まりたい人
- 伏見稲荷大社周辺の散策も楽しみたい人
- 無料送迎バスを利用して、京都駅周辺へのアクセスも重視したい人
また、「京都ユウベルホテル」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
THE REIGN HOTEL KYOTO
この「THE REIGN HOTEL KYOTO」は、伏見稲荷大社から徒歩約20分の、アートギャラリーを改装したスタイリッシュなデザインホテルです。
周辺には飲食店も多いので夕食後、ライトアップされた幻想的な伏見稲荷大社を参拝するのもおすすめです。
北欧デザインの客室は、シンプルながらも洗練された空間で、上質なリラックスタイムを過ごせます。
ゆっくりと休んで、翌朝は伏見稲荷大社の清々しい空気を感じながら参拝するのもいいですね。
朝食は、デンマークの伝統料理「スモーブロー」をメインとしたブランチビュッフェ。
朝からちょっと贅沢な気分を味わいたい方にぴったりです。
そして、THE REIGN HOTEL KYOTO最大の魅力は、ルーフトップから望む京都の夜景です。
息をのむ美しさは、忘れられない思い出になることでしょう。
ぜひ一度、体験してみてください。
このホテルの総合評価は「4.45」です。( 評価詳細は こちら>> )
こんな人におすすめ
- おしゃれなホテルで、特別な滞在を楽しみたい人
- 伏見稲荷大社の幻想的な夜景を満喫したい人
- 朝からちょっと贅沢な気分を味わえるホテルに泊まりたい人
また、「THE REIGN HOTEL KYOTO」に宿泊するなら「楽パック」のプランが便利です。
交通費込みのお得なパックなので、旅行全体が格安で行けますよ。
「伏見稲荷大社」のまとめ
伏見稲荷大社といえば、朱色の千本鳥居が織りなす神秘的な風景が有名です。
全国に約3万社あるといわれる「お稲荷さん」の総本社として、国内外から多くの観光客が訪れます。
そんな伏見稲荷大社の歴史をわかりやすくお伝えしました。
神様への信仰の深さが分かりますね。
しかし、この荘厳な神社を作った人や、いつ建てられたのか。
そこには、多くの謎が残されているのです。
いつ建てられたかについては、奈良時代の和銅4年(711年)という説が有力ですが、明確な記録は残っていません。
誰が作ったのか有力な説の一つに、秦氏の伊呂巨(いろこ)という人物が深く関わっているという話があります。
伝説によると、伊呂巨が餅を的にして矢を射たところ、餅は白鳥に変化し、飛び立った先には豊かな稲穂が実りました。
この奇跡的な出来事により、伊呂巨は稲荷大神の偉大さを悟り、その場所に祠を建てて稲荷大神を祀ったのが、伏見稲荷大社の始まりだと伝えられています。
伏見稲荷大社の本殿は、かつて国宝に指定されていましたが、現在は重要文化財となっています。
伏見稲荷大社には、本殿以外にも、重要文化財に指定されている歴史的建造物が数多く存在し、日本の伝統建築を伝える貴重な文化財として、歴史的価値が高く評価されています。
伏見稲荷大社の歴史をはじめ、建てた人やいつできたかについて、わかりやすく簡単にご紹介しました。
また、徒歩圏内のおすすめホテルをお伝えしました。
伏見稲荷大社は、長い歴史の中で、人々の信仰と深く結びつき、発展してきた神社です。
建てた人や、いつ建てられたかは謎が多く残されていますが、朱色の千本鳥居が連なる神秘的な風景や、荘厳な本殿の建築美は、訪れる人々を圧倒します。
伏見稲荷大社を訪れれば、その感動的な風景にきっと心を打たれるでしょう。
伏見稲荷大社のお土産も人気があります。
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